女人高野とも呼ばれる当寺は南北朝時代のうち4年間(栞参照)、南朝と北朝両方の行在所になったという興味深い歴史を持っています。10年ほど前に一度参詣したことがありますが、その折の平成大修理によって色鮮やかに甦った金堂・多宝塔・鐘楼がひと際目を引きます。
楼門
食堂(後村上天皇(南)が正殿とした)
金堂
鐘楼
多宝塔
薬師堂
五仏堂
御影堂
観月亭
法具蔵(手前)と護摩堂(奥)
開山堂
光厳天皇陵
八十八ヶ所巡り入口(倒木で閉鎖中)