観光パンフレットによると、戦国時代天文年間に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿により建設された寺内町とあります。
称念寺を中心とした寺内町は反織田信長の流れのなかで、軍事目的のために城塞都市の様相を強めて行きました。町は周囲を濠で守られ、碁盤の目状の町の道路はどれも屈折し、見通しがきかないように作られています。
江戸時代になると大阪や堺との交流が盛んになり、南大和最大の商業都市へと変貌しました。当初は敵の侵入を防ぐための要塞となった町づくりは、のちには富裕な商人の生命と財産を守るためにいかされることになります。
写真活動を怠けていて約一か月ぶりになりました。また少しずつ更新していきたいと思っています。